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ブラックベリー姫の星空

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1.

 らんらった、らんれった、らんらったらーん。
 らんらった、らんれった、らんらったろーん。
 えへへ、今日の私はとってもごきげんなの。
 だってね、こんなにも良いお天気だし、ぽかぽかしてるし、それに今日は、夜ごはんの時間までお外で遊んでていい日なんだよ。
 今日は何して遊ぼうかなあ。公園に行ったら誰かいるかしら。そうだ、今日は砂場で遊ぼう。綺麗なお姫さまが住んでるおっきいお城を作るんだ。お姫様はいつもそこで、ダンスをしたり、お歌を聞いたりして過ごすの。
 素敵素敵素敵! そうと決まったら早く公園に……ってあれ?
 なにかな。前からすごいスピードで知らないお兄さんが走ってくる。
「ぶらあああっくべりいいいいい!」
 いやあああああああ! な、な、何? なによあなた! 離れなさいよ! こちとら知らない男に抱き付かれる筋合いなんて一切ないんだからね! 離れなさいって、言ってるでしょっ!
「ごふっ」
 私の強烈なボディーブローをくらい、ようやく私から離れる不審なお兄さん。分かったわ、こいつ、ママが言ってたアブナイオニイサンってやつね。なめんじゃないわよ。もう一発お見舞いしてやる!
「ちょ、ちょっとストップ、冷静になってよブラックベリー姫」
 は?
「なんだよう、なんで俺のこと殴るんだよ。いつもどおり抱きしめただけじゃないか」
 何言ってるのかしらこの人。いつもどおりも何も、わたしはフシンナオニイサンなんて初めて見たのに。
「もしかしてブラックベリー姫、俺のこと忘れちゃったの?」
 だああ、近寄るな! それにブラックベリーって誰なのよ。私にはママがつけてくれたミシェルっていう可愛らしい名前があるんだから。
「ブラックベリー姫じゃない? 馬鹿な。金髪、ツインテール、青目、そして何より俺似のぷっくりした可愛らしい頬! どう見てもブラックベリー姫じゃないか!」
 ご生憎だけど、わたしはそのブラックなんとかベリーじゃないわ。これっぽっちもあなたに似てないし。分かった? アブナイオニイサン、もう近付かないでね。今度話しかけたらジャーマンスープレックスをお見舞いするから。そう言うと、私はお兄さんに背を向けて公園へ歩きだした。私は忙しい女なの。お城を作るのに忙しいんだから。これ以上アブナイオニイサンなんかに付き合ってられないのよ。
「そんな、待ってよブラックベ……」
 言い終わるよりも先に、私は後ろからお兄さんの腰をがっちりと掴むと、そのまま力ずくで持ち上げる。
「ちょちょちょちょちょちょタンマタンマタンマ! スープレックスはやめてスープレックスは! 路上じゃ洒落にならないから!」
 もう話しかけるなと言ったのに話しかけたお兄さんが悪いのよ。
「いったん落ちついて! ちょっと落ち付いてお話ししようよ! なんでも買ってあげるからとりあえず下ろして!」
 え、何でも?
「買ったげる! 何でも買ってあげるよ! プリンでもパフェでも! だから下ろして!」
 プリンパフェでもいいの?
「え、何それ? いや、買ってあげる! プリンパフェ買ってあげるよ! 三つ買ってやる! だから下ろし……」
 プリンパフェみっつ! 私は興奮して両手を離しちゃった。プリンパフェ! あの憧れのプリンパフェをみっつも食べられるなんて! 素敵素敵素敵! アブナイオニイサン、こんなとこで寝てないで早く食べに行こうよ! はやくはやくはやく!


2.

 俺は大いに困惑していた。駅前のファミリーレストラン。昼過ぎだからそこそこ空いている。ちらほらと見受けられる客たちの視線は全てこのテーブルに向けられていた。
 そりゃそうだ。俺はちらりと前を見る。金髪ツインテールの幼女さんが、嬉しそうにパフェを食べている。しかももう三つめだ。昼の喧騒が抜け切ったファミレスではこれ以上無いほど浮いていた。
「あのね、いつもこのお店の前を通るとき、すっごく美味しそうだなーって思ってたの。この『みるくプリンパフェ』は期間限定なんだって。早く大人になっていっぱい食べなきゃって思ってたんだけど、思ったより早く食べれて、私とっても幸せ」
 今時ここまで美味しそうにパフェを食べる子供も珍しいだろう。子供の笑顔こそ国の宝だ。しかし今はそんな事どうでもいい。
「えっと、ミシェルちゃん、だっけ?」
「そうだよ。私ミシェルだよ」
 パフェの中のブルーベリーを掻きだそうと必死になりながら彼女は答えた。
「ミシェルちゃんの今までの話をまとめると、だ。君は僕の顔には全く見覚えがないし、ブラックベリーという名前にも覚えが無い。そういう訳だね」
「だから初めからそう言ってるじゃん」
 こちらを向きもせずに言い放つ。
 俺と彼女が初対面? いやいや、そんなはずは無い。俺の目の前でパフェと格闘している幼女さんは、どう見ても我が最愛のブラックベリー姫だ。今凄い勢いでクリームを摂取しているあの口は、まぎれもなく毎日「おにいちゃんだいすき」と言ってくれたあの口だ。そうとしか思えない。外見だけでなく、口調や気性までそっくりだ。しかし本人は、俺のことを知らないと言っている。他人の空似なのか? いやしかし……。
 グラスに残っていたクリームをスプーンで綺麗にはぎ取りぱくりと食べると、彼女はようやく俺に顔を向けた。
「私の話はもういいでしょ。それよりあなたの話をしてよ。さっきから言ってるブラックベリーちゃんってだあれ? あなたのご家族……じゃないわね。あなた見たところ日本人っぽいし。お友達か何か?」
 急に問われて戸惑う。まずいな、なんて説明しよう。素直に妹だと言おうかと思ったが、彼女が言うようにブラックベリーが俺の妹だというのはちょっと無理がある。うーん、しょうがないな。
「実はね、ブラックベリーは、空の上にある魔法使いの国"ア・ラ・モード国"のお姫さまなんだ」
「ええっ! ほんと!?」
 もちろん嘘だ。
「天空のお姫さまであるブラックベリーちゃんがある日うちのベランダに現れて、それから一緒に暮らしてたんだ」
「素敵! お空の上にお姫さまがいるなんて! あれ、でもママが雲の上には乗れないって言ってた気がするなー。今の話ってほんとなの?」
「まあ初めは信じられないかもね。じゃあ証拠を見せてあげよう」
なんだか楽しくなってきた僕は、鞄から一冊のノートブックを取り出した。赤い表紙の可愛らしいノートだ。
「ほら、これがブラックベリー姫だよ」
 ノートの適当なページを開く。そこには、黒くてヒラヒラしたドレスに身を包んだブラックベリー姫が、ふわふわ空を飛びながらステッキを振っている写真が貼りつけてあった。しかもステッキからは七色の光線が地上に降り注いでいる。
「すごーい! すごいすごい! ほんとに魔法使いの国のお姫様なんだ! それに顔が私そっくり! しかもこの服、かわいー!」
 女の子に素直に褒められて俺は誇らしくなる。ふふふ、可愛いだろう。俺の妹の美貌と、俺のコスプレクッズ制作能力と、ついでにフォトショップ技術が合わさればざっとこんなもんなのさ。このノートは、早い話が妹をモデルにした自作のコスプレ写真集なのだ。
「ねえねえ、魔法使いのお姫さまがどうしてあなたの家に来たの?」
 ほう、それを聞いてくれますか。聞いてくれるんですか。俺は脳内設定をぺらぺらと喋った。
 ア・ラ・モード国の人々は、地上の人々が幸せな気持ちになたっときに現れる"サンチェルンの星"という光の玉(地上の人間には見えない)を糧にして生きている。彼らはそのお礼として、魔法を使って地上の人々を人知れず幸せにしていたのだった。しかし最近になって異変が起こった。地上から貰える"サンチェルンの星"の数が急激に減っているのだ。それは、近年の地上の人間の心の闇が深刻化していることを表していた。そんな現状を憂えていたブラックベリー姫は、ある日一大決心をして城を抜け出す。姫自らが地上に降り、人々を幸せにして周るというのだ。確かに王族の女性は代々魔法力が強く、伝説のステッキ『フレッシュ・ハート』を使いこなせるのは彼女だけ。そういう意味ではブラックベリー姫はうってつけである。しかし姫の脱走に気付いたお城の人々はびっくり仰天。大切な姫を危険にさらすわけにはいかない。姫を探し出してお城に戻そうともう必死。ブラックベリー姫は、たまたま降り立った俺の家に居候しつつ、正体がばれないように普通の人間のふりをしながら、毎晩ほうきに乗って人々を幸せにして周っているのだ。キャッチコピーは『あなたのシアワセ、わたしが守ります♪』。近日全国ロードショー、乞うご期待! ここまで脳内設定。
 滑稽無糖な作り話だが、夢見る女の子に信じさせるには十分すぎるほどだったらしい。ミシェルは目をキラキラと輝かせながら、ふんふん、へえ! と餌を前に待てと言われた子犬のように俺の挙動に一喜一憂していた。そして俺が話し終わると、素敵、そんなことが現実にあるなんて……とうっとりした。そしてお菓子を催促する子供のように前のめりになる。
「ねえねえ、そのブラックベリー姫に会わせてよ。私にそっくりな魔法使いのお姫さまなんて素敵すぎるわ。ぜひともおはなししたいの」
「いや、それはできないんだ」
 脳内設定はもう終わり。以下、暗く冷たい現実の話。
「ブラックベリー姫は、二週間前に行方不明になった」
「えっ」
 俺の暗いトーンで何かを感じ取ったのだろう。ミシェルは急におとなしくなった。
「ある日急にね、俺の前から姿を消したんだ」
「それってもしかして、"サンチェルンの星"がいっぱい溜まったから魔法の国に帰っちゃったってこと?」
「彼女が俺に何も言わずに帰るとは思えないよ。それに彼女、前の日にまだまだたくさんの人を幸せにしなきゃって言ってたし」
 そもそも、本当の"彼女"には帰る所などないのだ。いつも俺と一緒に行動していた彼女がどこに行ったのかなど見当もつかない。
「何も言わずにいなくなっちゃったの?」
「うん。ブラックベリーと散歩してた時、もう使われてない古井戸があってね。その辺りが良い雰囲気だったんで写真さつえ……じゃなくて困っている人を探してたんだけど、ちょっと目を離した隙に居なくなっちゃったんだ。警察にも届け出を出したんだけど見つからないみたいでさ。たしか砂越とかいう場所なんだけど」
「さごし!」
 突然ミシェルがばんっと机を叩き立ちあがった。
「な、何だ。砂越を知ってるのか」
「知ってる! 私、すごく知ってる! 私のおうちがあるの!」
「君、砂越に住んでるの?」
 驚いた。砂越はここからだいぶ離れている。この子は一人でここまで来たのだろうか。
「私、ブラックベリー姫を探してみる! あのへんはよく知ってるから見つけられるかもしれない!」
 そう言うと、ミシェルはグラスに微かに残っていたクリームをせっせとかき集め口に運び、絶対にブラックベリー姫を見つけ出すからねと言い終わるのが先か、すたこらと店を飛び出し走っていった。
「あ、君、ちょっと待って」
 席をたって彼女を追うように出口に向かう。外に出て周囲を見渡すが、既に彼女の姿は無い。
 ひとり取り残された俺。訳がわからないまま仕方無く席に戻る。
 一体なんだったんだ? 俺は夢でも見ていたのか?
 そんな理性的な解釈を、眼前の空になったパフェグラス達が否定していた。

3.

 ぴょんぴょんぴょーん。
 いそげ、いそげ。はやくさごしに帰らなくちゃ。
 ガードレールも横断歩道もちょっとした小川もぴょーんと飛び越えます!
 うふふ、私すっごくワクワクしてきた!
 だって魔法使いのお姫様に会えるかもしれないんだよ?
 しかも私のおうちの近くにいるかもだなんて! すごいすごい!
 あ、でもお姫様は一週間前に居なくなっちゃったんだよね。それなら、今もさごしに居るとか限らないか。
 っていうことは、こうしてさごしに向かっている間もお姫様を探した方がいいのかな。よーし、探しながら走ろう!
 えっと、お姫さまどんな格好してたんだっけ。お洋服は黒くてフリフリの可愛いドレスで、それで髪型は私と同じ金髪なんだよね。それで顔も私そっくり。うん、一目見れば分かりそう!
 私はきょろきょろと周りを見渡してみたけど、普通の田舎道だから人がちらほらいるだけ。うーん、やっぱり普通の格好の人しか居ないみたい。そんな簡単に見つかるはずないか。気長に急いで探すべきかしら。
 それにしても、考えれば考えるほど不思議な話よね。私にそっくりなお姫様が、よりによって私のおうちがあるさごしで居なくなっちゃうなんて。確か使われてない古井戸の近くとか言ってたような……。
 古井戸?
 私はぴたっと足を止める。道の真ん中に止まったもんだから、車がききーって止まっちゃった。でも私はそんな事にも気付かない。
 古井戸ってもしかして……。
 私の頭の中を、納得のいかなかったことがぐるぐると回ってる。私と瓜二つのお姫様。この国にそぐわない金髪ツインテール。私を知っているというオニイサン。二週間前の失踪。ママ。古井戸。
 考えないようにしてたけど。気付いてないふりしてたけど。
 ああ、そうか。だから私は。だからママは。だから私のおうちは。だから……。
 ママが言ってた。ほんとうのことっていうのは、私の気持ちなんて関係ないんだって。私がうれしいとか悲しいとか、そんなことは、世の中には関係ないんだって。ただ、正しいことが、ほんとうのことが、存在するだけなんだって。
 うしろで止まってる車がプープー鳴ってる。プープープー。あぶないぞーとかどいてくれーとか言ってるみたい。
 でも、悪いけど私にはそんなことどうでもいい。世の中にとって私がどうでもいいのと同じ。
 わたしはわたしが不思議だった。夢がかなったんだよ? あこがれだったんだよ? 嬉しいはずなのに。なのに、なんだかとっても悲しかったの。胸がきゅーってするの。今が今じゃなくなるのがつらいのかな。ほんとうに不思議。
 ううん、でも実は分かってた。かなしいのはあたりまえ。だって、だってね? 私は、ママがすきだったの。

4.

 既に午後八時を過ぎてしまっただろうか。部活をみっちりやった日よりも帰りが遅くなってしまった。私は足を早める。
 四月と言ってもまだうすら寒い。そばを歩く愛犬のラッキーがハアハアと荒い呼吸をしている。水分を欲しているのだろうか。おうちに帰ったらお水を飲もうねと声をかける。ラッキーは優秀すぎて自分の要望を態度に示さないことが多い。そこが少し心配だった。
 高校が春休みに入ってから、私は毎日のように図書館に通い詰めていた。設備の整ったすばらしい図書館で、本に夢中になっているうちに気付くと閉館時間になっている。母からは、夜道は危ないから早めに帰ってきなさいとよく注意されたが、常にラッキーと共に行動している私にはあまり危険とは感じられなかった。母は少し心配性が過ぎると思う。まあ、私に対して神経質になってしまう親心というものは分からないものではないが。
 そんないつも通りの事を考えながらいつも通りの道を歩いていると、突然ラッキーが足を止めた。不審に思い耳を澄ますと、道の向こう側にある公園から、きぃきぃとブランコが軋む音が聞こえてくる。こんな時間に誰かがブランコに乗っているのだろうか? 更に耳をすますと、くすんくすんと女の子のすすり泣く声も聞こえる。なんだか穏やかでない空気を感じ取った私は、ラッキーと共に公園に足を踏み入れた。
 私がブランコに近付くと、女の子はすすり泣きをやめた。
「こんばんは」
 私が話しかけると、女の子は警戒するというよりも不思議そうな声で返答した。
「お姉さん、だあれ?」
 素朴な疑問形。想像していたよりもずっと小さい子のようだ。小学生低学年くらいだろうか。
「私は、そうね、通りすがりの女子高生。女の子の泣き声が聞こえたから、気になって来てみたの」
 私は女の子の隣のブランコに座る。ラッキーは私の足元に座らせた。
「ふうん。お姉さん、優しいんだね」
「あはは。そう、私は優しいの。あなた、お名前は?」
「……ミシェル」
「ミシェルちゃん。可愛い名前ね。親の愛を感じるわ」
「……」
「あなた、ひとりでここまで来たの?」
「うん」
 なんとまあ不用心な話だ。こんな小さな子がひとりで公園に居るなんて。少し自分の親の気持ちが分かる。
「もうずいぶん暗くなってきたし、そろそろおうちに帰らないと。おうちの人も心配してると思うよ」
「ママ……」
 そうつぶやくとミシェルちゃんは黙ってしまった。お母さんと何かあったのだろうか?
「ママと喧嘩でもしちゃったの?」
「ううん、ちがうの。でもね、私、ママが隠しごとしてるんじゃないかなって思ってるの」
 ミシェルちゃんが砂を蹴る音がする。
「隠しごとかあ。何かそういう風に思っちゃうようなことがあったんだ」
「うん。色々ふしぎなことがあってね、よく考えると、ママが隠しごとをしてるとしか思えないの」
「お母さんにも、言いにくいことの一つや二つあるんじゃないかな」
「でも、ミシェルは思ったこととかぜんぶママに言ってるよ? ママが私に隠しごとしてるのは、ママが私のこと好きじゃないんじゃないかなって思うの。好きじゃないから、隠しごとして本当のことを言わないようにしてるのかなって」
「そっか。それで悲しくなっちゃって、おうちに帰りたくないんだ」
「うん……」
 この子はとても素直で、感受性が豊かな子なのだろう。母親の隠し事に気付いてしまい、その未経験の事実に驚きとまどっているのだろう。そして一番嫌なケースを思い描いて苦しんでいるのだ。
「ねえミシェルちゃん、」
 私はブランコから立ち上がり、空を仰いだ。
「宇宙人って居ると思う?」
「え?」
 ミシェルちゃんは砂を蹴るのをやめた。
「私ね、宇宙人は居ると思う。居てほしいなーって思う」
 夏の夜の生ぬるい風が私の髪をなびかせる。
「どうして居てほしいの?」
「だって、素敵じゃない? 宇宙のどこかに、私たちとは別の生き物が居るなんて。居たほうが、絶対楽しいわ。ミシェルちゃんもそう思わない?」
「おもう」
「でしょ? だから、私は宇宙人を信じることにしてるの。居るか居ないか分からないけどね」
「わからないのに信じてるの?」
「わからないってことは、居るかもしれないって事よ。どっちか分からないから、良い方を信じるの」
「いいほう……」
 小さくつぶやきながら、ミシェルちゃんは私の言わんとしている所をじわじわと理解しているらしい。子供の可愛らしさはこういうところだ。私は嬉しくなる。
「ミシェルちゃんのお母さんは、もしも隠しごとをしてたとしても、ミシェルちゃんのこと嫌いってわけじゃないかもしれないよ。うん、私は、嫌いなんかじゃないと思う」
 私は確信していた。こんな素直で透き通った子を養っている母親だ。この子を愛しているに違いない。
「嫌いなんかじゃない? どうして分かるの?」
「分からない。あなたのお母さんに会ったことがないから。でもね、どっちか分からないなら、良い方を信じた方が絶対に幸せだよ」
「……そっか、ママは私のこときらいじゃないのかもしれないのね」
「嫌いなんかじゃないよ。だって、ミシェルちゃんとっても良い子だもん。お母さんはミシェルちゃんのこと大好きだよ」
「大好き? 私のことを?」
「きっとそうだよ。だからね? お母さんが心配してるから、おうちに帰ろう。ね?」
「うん!」
 ミシェルちゃんは元気よく返事をすると、元気よくブランコから飛び降りた。
「ありがとう優しいお姉ちゃん! 私も、お姉ちゃんのこと大好きだよ!」
 そう言うと、小さな女の子はたったと小気味良い足音を鳴らして公園を去って行った。
 無邪気な子供に触れると気持ちが良い。私は小さな満足感を覚え、ブランコから降りて私達も公園から出ようとラッキーを催促する。しかしラッキーがくうんと小さく鳴きその場を動かない。ラッキーは地面に落ちている何かを鼻でつついているようだ。
 手にとってみると、それは小さなひまわりのアクセサリーが付いたヘアピンだった。
「ミシェルちゃんが落としたのかしら」
 今追いかければ追いつけるかもしれない。私がそう考えるよりも早く、ラッキーが走り出す。私はそれに追随する形で公園を後にした。

5.

 既に夜八時をまわっていた。窓越しに見る夜空は、工業廃液のように暗く澱んでいる。
 あの不思議な少女と別れてから五時間あまり経つが、俺は未だにファミレスに鎮座していた。
 あれ以降何か新しく料理を注文するでもなく、ただただブラックベリー姫の写真集を眺めている。
 フィルムの中の妹は常に笑顔だった。満面の笑みだったことも、俺を小馬鹿にしたような顔だったこともあったが、笑顔であることに変わりは無かった。このノートの中の世界は、俺の理想であるとともに彼女の理想でもあったのだ。
 俺は彼女の心境について想像をめぐらす。早くして両親をなくし、歳の離れた兄と二人暮らしする妹。兄が働いていたとはいえ、豊かとはいえない生活を強要された妹。俺の前では常に明るく振舞っていた彼女は、一体どんな気持ちで日々を送っていたのだろう。
 その解答が、このノートだ。
 少ない生活費を削ってまで撮りつづけた写真たち。それをまとめたノート。この小さな本は、か弱い兄妹の全身全霊をこめた現実逃避だった。
 写真を撮っている間だけは、俺は妹に進学すら保証してやれない駄目な兄などではなかった。
 写真を撮られている間だけは、妹は両親をなくした可哀想な子などではなかった。
 このノートを開いている間だけは、俺達の笑顔は本物だった。
 俺は、妹が習い事に憧れている事を知っていた。妹が文房具を節約していることを知っていた。俺だけでは両親の代わりになることはできないのだと知っていた。
 貧困は、脆弱な俺たちにとって強大すぎる敵だった。
 窓に目をやる。馬鹿みたいに明るい店内とは対照的な、黒々とした世界。トースターの中で忘れ去られた食パンのような墨色の空。
 この邪悪で無慈悲な世界を前に、俺は何かを為すことができるのだろうか。深い溜息をつく。できるはずがない。俺は、妹一人守れなかった。
「ブラックベリー姫は、一週間前に行方不明なった」
 ミシェルちゃんにはそう説明した。これは虚言ではない。しかし、本質的なところで間違っている。
 行方不明。不安を煽る言い方ではあるが、多少の救いを含んだ言い方でもある。不明とは、期待を持たせる言葉でもあるのだ。その意味で、妹は「行方不明」とは言えないのかもしれない。
 古井戸。
 妹の姿が見えなくなり、気が動転した俺は交番に駆けこんだ。巡査に状況を説明しながら、ゆっくりと古井戸の存在を思いだし、そして戦慄した。
 すぐに古井戸内の捜索が始められた。
 あの古井戸はずっと昔に水が枯れているらしく、底は水分を多く含んだ土らしい。深さは50メートル以上あり、当然中に入って出てこれるような代物ではない。
 つまり、あの中から妹が発見されるとき、妹は既に。俺は想像して嘔吐した。
 しかし、井戸から妹が発見されることはなかった。とは言え、井戸内の捜索は困難を極め、完全に可能性が消えたわけではないという。
 俺は一時は胸をなでおろしたが、やがて再び懸念に襲われた。
 大々的な捜索の結果、やはり妹が見つからなかったのだ。そして井戸に落ちたわけでもないとすると、これはもう誰かに連れ去られたとしか思えない。もしくは、井戸内の捜索が完全ではなかったのかもしれない。どちらにせよ、心地いい結末は得られそうになかった。
 再びノートに目を落とすと、俺は何度目か分からない溜息をつき、静かに泣いた。
 暗く澱んだ空が、俺にとっての世界だった。

6.

 ラッキーに引っ張られる形で、私は空き地に着いた。だいぶ走ったが、初めて来た場所ではない。確か、近くに古井戸があるから危険だと小さいころから言われている場所だ。
 ラッキーがここで足を止めたということは、ミシェルちゃんはこの辺りに居るのだろう。
 じっと耳をすませていると、前方でがさがさと何かが動く音がした。私はそちらに足を進める。
 十歩ほど進んだところで、ラッキーが足を止め低いうなり声をあげた。これは未知のものに警戒している時の反応だ。私もそこで停止する。
 耳をすますと、前方でヒュッと風を切る音が聞こえ、数秒遅れてドンと何かが落ちる小さな音が聞こえた。
 私は何が起こっているのか理解できない。どうしたものかと佇んでいると、どこかかからかすかにミシェルちゃんの声が聞こえてきた。
「ただいま、ママ」
 姿は見えないが、この舌足らずの声は間違いなくミシャルちゃんの声だ。私は耳をすます。
「おかえりなさい」
 ミシェルちゃんに返答する声―――ミシェルちゃんのお母さんの声は、非常に女性的で聞き手に安心感を与えてくれる声だった。だが、私はそこに何らかの違和感を感じていた。作為的に女性らしい声を出しているような、不自然な印象を受けたのだ。
「ママ、おそくなってごめんなさい」
「そうね、今日は驚いたわ。いつもミシェルはいいつけは必ず守るから。何かあったの?」
「えっと、えっとね」
 ミシェルちゃんは言い淀んだ。真実を確認するのは、とても恐ろしい事なのだ。それでもミシェルちゃんは、勇気をふりしぼった。
「ママ、私になにか隠しごとをしてない?」
 長い沈黙が訪れた。ゆうに一分ほど押し黙ったあと、お母さんは静かに問うた。
「何があったの。言ってみなさい」
 ミシェルちゃんは堰を切ったように話り始めた。アブナイオニイサンに声をかけられたこと、そのお兄さんの知り合いが自分にそっくりだということ、その子が行方不明だということ、そして公園で会った親切なお姉さんのこと。早口でまくしたてる彼女は、そうすることで自らの不安を吐き出しているかのようだった。
「それでね、その行方不明の子が居なくなっちゃった場所が、このさごしなの」
 ミシェルちゃんの話が終わると、一言も発しずに聞いていたお母さんは、静かに語りだした。
「そこまで知っているのならもう仕方ないわね。ミシェル、あなたにちゃんと話さなければならないことがあります」
 姿は見えないが、ミシェルちゃんの不安に歪む顔が想像できる。
「あの、わたしはもしかして、ママの子じゃ……」
「あなたは私の子じゃないわ。拾った子なの」
 お母さんは冷たく言い放った。
「……」
「私があなたを見つけた時には記憶がなかったから、あなたがどこの子か分からなかったわ。でも、あなたは自分で自分の帰る場所を見つけたようね」
「帰るだなんて、そんな……」
「ミシェル、あなたはここに居るべきではないわ。そのアブナイオニイサンは、とても悲しがっていたのでしょう? それなら、あなたが行ってあげないとね」
「でも、わたし、ママと離れたくない」
「どうして?」
「ど、どうしてって……だって私、ママの事、好きなんだもん」
「なあんだ、そんなことなの。そんなのママだって同じよ。あなたのことが大好き」
「ママ……」
「でも、そんなこと関係ないわ。会いたくなったらまた来ればいいんだから」
「え、いいの?」
「もちろん! あなたが会いたいと思ったらすぐに飛んで行くわ」
「ほんと?」
「ほんとよ。ママに出来なかったことなんてあった?」
「ない!」
「そうでしょう? じゃあ、行きなさい。あなたなら皆を幸せにできるわ。私を幸せにしてくれたように」
「ありがとう! ママ大好き! 愛してる!」
 それ以降のミシェルちゃんの声からは、不安や恐怖は一切感じられなかった。お母さんの言う通り、皆を幸せにできる声だ。
 しばらくして、ミシェルちゃんの「行ってきます」という元気な声が聞こえた。それと同時に、前方からどひゅっと何かが凄まじい速さで移動する音。それが何かを確認する間もなく、その音源は風を切りながらはるか上空へと消えていった。
 突然の轟音に戸惑う私の耳に、更に不可解な音が飛び込んでくる。ずる、べちゃ、と粘液を引きずるような音だ。やはり前方から聞こえてくる。
 不気味なことに、その不快な音は少しずつ私に近付いているように思えた。一体何が起こっているのか、私は好奇心に支配され逃げることを忘れてしまう。
 そして、ずるずるという音を発している物体は、その不快な音を保ったまま私のすぐ近くまで寄ってきて、そして、言葉を発した。
「オマエが、ミシェルが言っていたオネエサンか」
 ガラスを指でひっかいたような、プラスチックを力任せに引き裂いたような、およそ人間のものとは思えない不気味な声だった。声というより効果音に近い。色々な音を複合して作られた人工の音。しかし、それを聞いて私は確信した。
「はい、先ほど公園でミシェルちゃんと話した者です。あなたは、ミシェルちゃんのお母さんですね」
 ミシェルちゃんのお母さんの女性的すぎる声に感じた違和感が、この音からも感じられたのだ。音源は、無言を通すことでそれを肯定した。そして、独白するかのように語りだす。
「ミシェルが天からオチテきた時、スデに肉体は生命活動をテイシしていた」
 ぐちゅぐちゅと音を発しながら、音源は話す。
「肉体のサイコウチクはそれほど難シクなかった。ニンゲンの肉体性能はフメイだったが、ワタシの性能をベースにプログラムを施した。シカシ、記憶のフッカツはワタシには困難ダッタ。ミシェルのキオクはもう二度と戻ラナイ」
 その声はウルトラマンの怪獣のような奇妙な音だったが、しかし確実に、子を思う親の感情が読みとれた。母親特有の自責の念が汲み取れた。
「不完全なサイコウチクにより、ミシェルは不幸を背負ッタ」
「そんなことありません」
 私は強く否定した。もう恐怖心はなくなっていた。目の前に居るのは、母親以外の何物でもないのだ。
「ミシェルちゃんは不幸なんかじゃありませんでした。あなたがミシェルちゃんの事を想っていると気付くと、彼女はとても嬉しそうにしました。あんな反応ができる子が、不幸なはずがありません」
「ミシェルは笑ってイタのか?」
「それは分かりません。私、目が見えませんから」
 私はラッキーのリードを持ちなおす。
「生まれつき視力が無いのです。私には、見るという感覚が理解できません。おかげで聴力は発達したようですが、だからといって全てを補えるとは言えません。犬を連れていても全てが分かるわけではありません」
「ミシェルのキオクと同ジか」
「そう、ミシェルちゃんと同じです。でも私は不幸ではありません。私は、信じることができますから」
「信ジル?」
「……私に限らず、ミシェルちゃんに限らず、全ての人にとってこの世界は未知です。世の中は分からないことだらけです。そんな世界を、あなたはどうしますか」
「……ジカンをかけ、セカイの全てをカイメイする」
「ああ、素晴らしい答えですね。力強い。でも、誰もがあなたみたいに強いわけではありません。私も、ミシェルちゃんも」
「ミシェルは確かに弱イ。だからこそキオクを失ったままデハ……」
「弱くても幸せになることはできます。その秘訣が、信じることです」
 信じること。それが私が短い人生の中で導き出した答えだった。視覚を持たない私にとって、世界とは想像だ。確かなことなど一つも無い。しかし、そんな状況でも生きていかなければならない。そのとき私にできることはひとつ。信じることだった。今日は何事も無く家まで帰れた。誰かが障害物をどけてくれたのかもしれない。図書館に点字の書物が入荷された。誰かが申請してくれたに違いない。そう信じることで、私の世界はとても住みやすくなる。これが私の生き方なのだ。
「信じることで世界は変わります。例えば、私は地球外生命体の存在を信じています。今、もしも私が視力を持っていたら――もしかすると、その考えを捨てなければならないかもしれません。でも、私は目が見えないから、分からないからこそ信じられます」
 ミシェルちゃんのお母さんは、私の言葉を吟味するかのように沈黙し、そしてぽつりとつぶやいた。
「ミシェルは、シアワセだったノカ?」
 私は空を仰ぎ、そこに美しい星空があると確信した。
「そうだと信じましょう」

7.

 ぴょんぴょんぴょーん。
 ぴょんぴょんぴょーん。
 屋根から屋根へ。電柱から電柱へ。私はぴょんぴょんと飛びうつります。
 ママは、私のことが大好きだと言ってくれた。それはね、とっても、とっても、とーっても嬉しいことだったの。今の私には何だってできるわ。
 だから、私は帰るの。はやく帰らなくちゃなの。私を待ってくれてる人が居るから。それはとっても素敵なこと。私は嬉しくて嬉しくて、つい早足でぴょんぴょん走っちゃう。
 うん、ここまままっすぐ行けばさっきの場所に着けるかな。
 あ、そうだ、その前に。
 私は一旦電柱の上で停止し、周りを見渡す。近くに大きな建物は……あった! たしかあれがデパートっていう場所ね!
 そうと決めたら、今度はデパートに向かってぴょんぴょんと足を進めます。
 えっと入口は……あれ、電気ついてない。もう閉まっちゃってるみたい。うーん、じゃあしょうがない、壁から入ろう。
 私は屋根を強く蹴り、デパートの壁にすごい速さで突進します。そして、もう壁にぶつかるーってところで、眼前で両腕をクロスさせて、こう叫ぶの。
「任意色素消滅(トランスパレント・クリア)!!」
 そうするとね、私の体が半透明になって、するっと壁を通り抜けられるんだよ。えへへ、すごいでしょ。
 うわあ、夜のデパートって薄暗いなあ。お洋服屋さんはどこにあるのかしら。ここは五階だから……あ、ここがお洋服屋さんなのね! ええっと私が探してるのは、そう、黒いドレス! どこかにあるかしら?
 このお店で一番かわいいお洋服を着こんで、私はるんるんとレジへ向かいます。あ、夜だから店員さんは居ないのね。しょうがないからレジにお金を置いていきましょう。ちゃりんちゃりん。
 他のお店も見てみようかしら? そう思って廊下に出たら、巡回していた警備員さんと鉢合わせしちゃった。きみぃ駄目じゃないか何処から入ってきたんだねェなんて言いながらこっちに向かってくる。むー。ちょっとめんどうだな。
 こういうときにはアレを使いましょう。私は右手をめいっぱい伸ばして天を指差し、両目をつぶってこう叫びます。
「天上天下唯我独尊(イルミネート・スパーク)!!」
 こうすると私の人差し指からぺかーっと強烈な光が舞い散り、警備員さんは気を失ってしまうの。数分すればすぐに元通りだから安心だよ。記憶も、私を見る前に元通り。
 でもね、すっごい光を出したから、他の警備員さんたちにも気付かれちゃったみたい。ジリリリリとベルの音が鳴って、階段のほうからがやがやと人が来る音がします。むむむ、これは本当にピンチなのかも。こうなったら、ママ直伝のアレを使うしかないわ!
 腹をくくった私は、窓から勢いよく飛びたち、空中でくるりと回転してデパートをほうを向きます。そして、カメラの真似っこをするみたいに手で四角を形作ると、四角の中にデパートがすっぽり入るようにして、今度はこう叫ぶの。
「物質情報閉鎖空間(クローズド・サークル)!!」
 すると、デパート全域がでっかくて黒い立方体につつまれるんだよ。このハコの中と外は、三十分間あらゆる物質・情報の行き来が遮断されるの。しかも、人々は遮断されていることに気付けない。"そこに何かが普通にある"ように思えちゃうんだって。ママはいつも私達のおうちにコレを使ってたみたい。
 さて、もう警備員さんも追ってこないし、お洋服もかわいいのを買ったし、そろそろほんとにあの人に会いにいかなきゃね!

8.

 夜の十時を過ぎ、俺はようやくファミレスを出た。
 明日は仕事がある。いつまでも感傷にひたってもいられない。
 妹を想いだすことすら許されない生活。俺はそれを強要されていた。それが俺の現実だった。
 人気の無い道を歩く。舗装されたばかりの道。数年前に都市化とやらが進められたらしい。しかし俺の生活に変化は訪れず、強いて言えばコンクリートによって靴のすりへりが早くなったくらいだった。
 誰も居ない自宅に近付くにつれ、俺はゆっくりと夢から覚めて行くような感覚を味わう。現実的な現実に戻っていく。家に帰れば、机の上に置きっぱなしにしたテレビのリモコンは、そのまま机の上に置きっぱなしになっているだろう。朝に干した洗濯物は、やはり今もベランダに干されていることだろう。そういう事を考えながら生きて、そして死ぬのが俺の人生なのだろう。
 そういえば今日は天気予報を見ていない。明日は雨の心配は無いのか? およそ無意識的に、俺は空を見上げる。その時、どこからか声がした。
「おにーちゃんっ」
 妹の声だった。俺の意識は急速に現実から遠ざかる。どこだ。今の声はどこから聞こえてきた。
 きょろきょろとあたりを伺っていると、後方上部からまた声がする。
「おにーちゃん、こっちだよー」
 急いで振りかえった俺の鼻に、少女のおでこが直撃した。俺は湧きあがる眩暈を必死に押さえながら、落ちてきた少女を目視する。
「いてて、着地失敗しちゃった」
 そう言いおでこをさする少女は、金髪でツインテール、そして黒いドレスを着ていた。
「君は……ミシェルちゃんか?」
 昼に会った妹にそっくりの女の子だろうか。俺はとっさにそう尋ねる。しかし少女はそれを否定した。
「いいえ、私はミシェルじゃないわ。私は、ア・ラ・モード国のブラックベリー姫」
 少女は腰に手をあて、得意げに言い放つ。何が起こっているのか分からず、俺は立ちつくしてしまう。
「何してるのおにいちゃん、こんなところでとぼとぼ歩いてちゃ駄目だよ? みんなを幸せにしないと」
「えっと、あ、き、君は……」
 驚きすぎて言葉がついてこない。何だこれは。彼女は誰だ。ブラックベリー姫? そんな、まさか。
「ちょっと事情があって、この二週間、別の場所にいたの。心配かけてごめんね。でも大丈夫。これからはずっと一緒だから」
 絶句している俺などおかまいなしに、彼女は俺の手をとる。
「さあさあ、さっそく行きましょう」
 俺の手をとったまま、彼女は叫ぶ。
「虚空複段跳躍(ワイノワイルド・ワイバーン)!!」
 すこし膝を曲げて方向を定めると、彼女はぴょーんと高く跳躍した。軽々と二階建ての家の屋根に着地する。そしてそのままぴょんぴょんと屋根を渡っていく。
 俺は驚きながらも、彼女から振り落とされないように必死に体勢を整える。
 いったい何がどうなっている? 分からない分からない分からない。俺の理解を超えたことが起こっている。混乱する俺をよそに、少女はごきげんな様子で更に高く跳躍。眼下には、小さな光を放つ家々が並んでいる。
 その風景を見て、俺はついに現状を理解した。
「……ああそうか、そういうことか」
 この風景には見覚えがあった。過去にどこかで経験したわけではない。この家々が優しい光を放っている風景は、あのノートの中で見たものだった。
 それを皮切りに、俺はどんどんと現実を理解していく。
 ブラックベリー姫や、それに関する話は俺の創作だと思っていた。あのノートの中だけの物語だと思っていた。
 しかし、それは間違いだったのだ。空想なのは、今まで現実だと思っていた世界のほうだ。俺が妹を幸せにしてやれず、現実逃避にあけくれる日々。あれこそが虚偽だった。
 真実は、ノートの中にあった。ア・ラ・モード国。ブラックベリー姫。伝説のステッキ『フレッシュ・ハート』。これらこそが、この世界での現実だったのだ。
 うきうきした顔で俺の手をひっぱっている少女。彼女がブラックベリー姫でなくて誰だというのか。ノートの内容を信じずに何を信じるというのか。この世界は、感じれば感じるほど、あのノートを肯定していた。
「おにいちゃん、どこ行く?」
 姫は空中で振り返り、俺に問う。
「そうだな、まずは困っている人を探さなきゃいけないから……大通りに出てみようか」
 姫はこくんとうなずくと、更に更に高く跳躍する。風が俺の頬をなぞる。俺は生まれて初めて、生を実感した。
「さあ、もっともっとたくさん"サンチェルンの星"を集めるぞ!」
 そう意気込み、俺は空を見上げる。その空はもう暗く澱んでなどいない。漆黒の空には、何千何百という星たちがまばゆいほどに美しく瞬いていた。




<了>

 

 

 

 


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